コナフキンの独り言

 

コナフキンの独り言イス回転

 

 

日本の政治家は、食糧自給率100%を国策の第一にせよ!
 
 
1.壊されてきた「日本文明」
 
 食糧自給率の下がり続ける現代日本。そこには、江戸時代という鎖国状況にあって、食糧自給を達成し、なおかつ循環型エコロジー社会を実現していた先人の知恵や苦労が、完全に消え去ろうとしている。

 明治維新によって欧州の文化・仕組を急速に取り入れた日本。そして、今度は戦後、米国の全てを真似しようとしてきた半世紀。まるで乾いた雑巾が、あっという間に止め処も無く水を吸うように、清濁関わらず飲み込んで、そして吐き捨てる、そんな時代を経験し続けてきているのではないだろうか?

 「日本の政治家は顔が見えない」「日本人ははっきりと物が言えない」そんな批判をされ続けて一向に改まらない不思議な国、日本。そこには1000年以上、米文化を中心とした島国ならではの閉鎖系循環型社会を連綿として構築してきた素晴らしい「文明」と、海外から洪水のように入ってきた「文化」とのぶつかり合いがあるのではないか?
 片方の立場を支持する政治家もいれば、それぞれの利害に微妙に絡む人もいるだろう。島国故に、いったん国際関係の中に身をおいてしまうと、閉鎖循環系は乱れてしまい、輸出入で利益を得ようとする勢力が力を増し、いつの間にか国の将来よりも、物を国際間で動かすことによる利益の獲得が主眼になってしまっている。勿論、必要最低限の貿易・交流は必要だろうが、物をむやみに動かすことは、一番の無駄である。環境破壊にも繋がる。

 海外の政治家の意見・主張は正しくて、日本人はいつもそれを鏡にして物事を判断する。そんな主体性の無い悪癖がずっと続いている。国際社会だ、グローバルだ、何だかんだと周りのペースでこの国そのものの本体が崩れてしまおうとしている。いや、既に崩れて腐り始めていると言った方が正しいかも知れない。ただ、この国土や企業や人間や、物理的な資産と負債は現存している。しかし、精神・文明・文化・伝統など、吉永小百合さん流に言えば「21世紀に残したい、伝えたいモノ」があるんじゃないか?
 
 
2.偽付加価値の輸入
 
 しかし現実は、原材料や加工賃の安さという効率と自らの利益のためだけに、そういった国から国へ生産基地を移動させている。そこには真の意味の付加価値は無い。単に賃金水準がとてつもなく低いというだけのことであり、これは国力の差を利用した労働搾取以外の何物でもない。物価の上がった国からは生産基地は去り、そこは使いようの無い旧式の設備が残された廃墟となる。そして経済不安が増大し、再び貨幣価値が下がる国になってしまう。

 我々はいつまでこんなことをするんだろう。巨大流通チェーンで売られる一枚1,000円前後の衣類。十年前なら5,000円はすると思われたものが、今では何分の一。これは生産性が上がったというよりも、ただ単に人件費・材料費の安い国・地域で作らせているだけである。それで日本は本当に幸せな地域になっていくんだろうか?誰かがその犠牲になっていないか、よく考えてみる必要がある。

 なぜ輸入品が安いのか、単に貨幣価値の差だけである。生産性が極めて低い国からでも、破格に安い物を買えるのが、今のグローバル化である。しかし、それはある種の暴力でもある。
 自分は働いて例えば1時間1000円の給料をもらう。安い国では、一ヶ月にその程度の貨幣価値の国もある。それを利用するのが商売かもしれないし、企業戦略かもしれない。しかし、そこに「永続」や「継続」という理念は無い。「自分さえ良ければ」というエゴイズムしかない。

 地域を都合よく使い捨てていくという、その末路はどうなるのか?たかだか10年、20年栄えるというようなことなど、人類や地球、あるいは民族や宗教などの悠久の歴史からしてみれば、ほんの一瞬でしかない。
 それよりもその地域が100年、200年持続的に人が愛着を持って住み続けることの方が、余程、素晴しく美しいことではないだろうか。

 人の犠牲の上に立って生き続けたり、金を儲け続けたりする、それは価値のあることではない。それで企業が利益が上がったとしてもそれは「搾取利益」であって本来、手にしてはいけない利益なんだと思う。本物の付加価値を自らの発想で作り出す、努力で作り出す。それが適正な利益として享受できる。それが真実じゃないのか?それが共生の最低限のマナーじゃないのか?
 
 
3.島国日本の功名
 
 考えてみれば日本は地球の縮図だ。地球も島国のようなものである。敢えて言えば、日本は周りの海で豊富な食糧を得られていたから、その意味では若干、条件は違うかも知れない。しかし、基本的には、同じコンセプトで応用できるはずだ。

 欧米は陸続きの狩猟型社会だ。アメリカ・オーストラリアなどは、欧州の人間が新しい土地を求めて先住民を侵略し獲得した占領地のようなものである。拡大・覇権志向の権化である。
 ひるがえって日本は農耕型社会だ。限られた土地・限られた資源という制約の中で知恵を出し工夫をして、生活をせざるを得なかった。そこにはそれぞれの生まれた場所で永住する、そしてその子孫も永住する・・・そういう大きな前提があった。だから自然と対峙せず、共生する思想や行動様式が根付いたのである。

 こんな話がある。かつて平安京以来、明治時代まで、都であった京都では寺・邸など木造建築が無数に行われてきた。当然、材料は山から運んでくる。近い方が楽に決まっている。しかし、木を伐採すると木は無くなる。植林をしなければ、・・・である。
 現実に京都の山がハゲ山として描かれている掛け軸や絵がたくさん残されている。しかし、ある時期に植林が計画的に行われてきたのである。これは為政者だけでなく、寺院や商人など多数の住民の理解と協力が無いとできないことである。結果、明治以降、ハゲ山として京都の山が存在することは無かったのである。この植林という文明も稲作に並ぶ素晴らしい日本文明である。

 陸続きの国では、こうはならない。何故なら、まず隣国との緊張関係が常にある。また、移動がしやすい。定住、永住の概念が育ちにくい。「新天地」を求めることで全てがチャラになる。先住民を殺戮し土地を略奪しても、パイオニアとして英雄になる。永遠にその国の歴史に名を留め、そして称えられる。開拓精神や攻撃的精神は養われるだろう。しかし、自然や環境と共生する発想は絶対に出てこない。
 今、EC各国では環境問題に大いに取り組んでいる。これも公害その他の環境が悪化し止むを得ない所まできたから、ということも大きな要因だが、侵略できる土地がなくなってきたということも大きな原因であろう。

 島国だからせざるを得なかった、考えざるを得なかったと言えばそれまでかも知れない。しかし、これは世界に誇れる、そして未来に誇れる素晴らしい文明である。
 そもそも、2,000年近くに亘って、曲がりなりにも単一民族で国を維持してきた例はあるんだろうか?これをノウハウとか工夫とかという言葉ではなく、「日本文明」と言う表現で大いに賞賛したいと思う。
 
 
4.宇宙船地球号
 
 これはそのまま宇宙船地球号に応用できるだろう。ドラム缶何万本分も燃焼し排ガスを出すジェット機が、地球上を飛び回る。そんなことが地球のためになるはずがない。その内、化石燃料が枯渇すれば、帆船や太陽光で動く船でしか移動できなくなるだろう。それは何百年も先の話ではない。もう40〜50年もすれば現実化するのである。
 たとえば日本が数百億トンもの原料・製品を輸出入することが、いつまで許されるのだろうか?IT社会と言いながら、何故、こんなに移動しまくり、物を動かしまくるのか?お金が余れば飛行機に乗って旅行をし、観光・買物して移動をする。当然、GDPの低い国の人々には無理な話である。これだけ、不公平で差の大きい状況というのは、一体、いつ作られたのか。かつての米国での
奴隷制度から比べれば、随分ましかも知れない。しかし、だからと言ってそれで良いのだろうか?

 新エネルギーは、いずれ開発されるだろう。しかし、それはインプットが化石燃料からより自然で安全なものに変わるだけで、環境を維持し再生して行くだけのものにはなり得ない。地球が閉鎖系である限り、根本的に仕組を変えないと解決にはなり得ない。
 人・物の移動を極力減らす。工場でも事務所でもこの基本は変わらない。その意味では、食糧などは人間の生存のための最重要条件であるから、それぞれの一定の地域で採れたものを消費し、保護し維持していくということは、非常に重要な要素である。

 宇宙船地球号。それは運命共同体である。地球は丸い。自分の行ったことは、因果応報、回り回ってやがて自分の身に降りかかってくる。いいことも、悪いことも。あるいは、自分の子供たち、子孫に対して。この場所・時間から逃げられないことを、まず自覚しながら、そして、運命は自ら「命を運ぶ」ものであることを認識しながら、より良い方向に一歩づつ歩んでいく、そんな気持ちを
一人でも多くの人が持つこと、それがこの船に乗っているお互いの連帯感となっていくのではないだろうか?
 
 
5.日本の活路・進路
 
 21世紀になって、多少、20世紀よりは環境に配慮された仕組が世界中で出来つつあるが、しかし、ナショナリズムや宗教戦争は無くなる気配はない。むしろ、グローバル化の中で顕在化している事象も多く見受ける。そういう中で、島国日本は百年の大計として、「食糧自給率100%」を国家目標として掲げ、全ての政策や仕組を作り変えるべきであろう。勿論、全ての種類の作物で100%をクリアする事は現実的ではない。総量で、そしてその後の最低限必要な交易の結果の数字として100%を目指すのである。

 この狭い国土で今の人口を食べさせるのは容易ではない。しかし、様々な技術開発や農政の工夫によって、さらに生産性を高め、日本の国土・風土に相応しい食糧を増産していくことは、とても有意義なことである。もし食糧自給率が100%を超えれば、その超えた分はODAとして食糧難に悩む国へ援助すれば良いのである。ただ、ゴマや大豆のように限りなく100%に近く輸入されている食物を作ることはあまり意味が無いかも知れない。しかし、遊休地の活用を図ることによって面積を確保し、その必要な人員の雇用も創出できる。公共事業で車がほとんど走らないような道路を作るより、一次産業に従事しやすい環境整備を行うことの方が、国家百年の大計から考えるとどれだけ有意義なことであろうか。

 日本はお米の自給率を150%くらいまで上げる。そして、消費されない分を援助や輸出に回す。勿論、その代価として、相手先の特産物を必要量もらってもいい。お米の美味しさが世界中に広まれば、稲作そのものももっと広がりを見せるかも知れない。そうすれば素晴らしい日本の「稲作文明」が堂々と輸出できる環境が整う。旧来の日本食という生活習慣病とは無縁の食事スタイルが、グローバルスタンダードになるかも知れない。

 今の日本のように、農地は余っている、失業者はたくさんいる、農村は荒廃しつつある、肉・野菜を始め海外から安いというだけでどんどん食物が輸入される、そして日本の自給率はどんどん下がる。一体、この国の政治家は、誰の利益を代弁しているのか?貿易が活発になればいいというだけの利害関係者の利益代表者なのか?マクドナルドのハンバーガーは世界中からもっとも安いものを調達しているというが、まるで日本人は鳥小屋の餌を与えられ、糞を垂れ流し、卵を産み続けるしか能が無い鶏のようだ。吉野家も、国産米100%・紀州産梅干の日の丸弁当を180円で売り出せばいい。日本民族とかどうとか言う前に、この島国で住んでいる全ての人々がもっと「自給」という事を考えようではないか。

 日本がこういうはっきりした理念を持って動き出すこと、それが今、将来の世代に残せる最高の贈り物ではないだろうか、700兆近い借金と共に・・・。「子孫に美田を残すな」蓋し、名言である。自分の子や孫が道楽して食い潰さないように、いやそれどころか、これだけ借金があったら働いても働いても元本は返せない。
 この大きな負債と大きな理念を後世に授けられたら、この時代に対する22世紀以降の歴史的評価は、間違いなく日本の有史以来最高のものとなるであろう。