昔のお正月は、満月や新月の日であったと聞いたことがあります。今とどう違いますか?
その通りです。元々、古代日本では暦がなく厳冬の中、ほんの少し春めいた「初春の満月の日がお正月(一年の始まり)」でした。2022年で言いますと2月17日の満月の日が元々のお正月の日です。
しかし七世紀に太陰太陽暦(月の始まりが「朔(さく)」=「新月」)が中国から入ってきてそのまま官暦と定められ、ややこしくなりました。その頃、大陸では新月の日がお正月だったからです。つまり2週間ほど手前になったということです。2022年では2月1日が新月の日(=お正月)になり、北京オリンピックはこのお正月休みに合わせた形で2月4日に開会をしたということです。このお正月の日を「旧正月(春節)」と呼びます。
この旧正月と別に「小正月」と呼ばれる日があります。これは1月15日です。日本の元々の正月が満月でったため、新月の日がお正月に変わっても、その15日の満月の夜に二度目のお正月を祝った風習の名残です。
法律が変わっても、農耕のスケジュールや色んな風習の基準は変えにくかったということでしょうか。恐らく、満月の夜が明るく移動もしやすくて色んな行事を行いやすかったことが大きな理由と思われます。
お正月(松の内)が終わって「左義長祭」「どんと焼き」「とんど焼き」「鬼火焼き」を一月七日や十四日の夜・十五日に行う地方があります。
しめ縄・門松などのお正月飾りを燃やし、その煙と共に年神様が天に戻られ、またその炭火でお供えしたお餅を食べて健康で過ごしたいという祈り・願いを込めた行事となりました。
節分に豆を撒きますが、これは元々、大晦日(おおみそか)の行事でした。それが暦が変わってもそのまま昔の正月(今では立春)前日の行事として行われてきました。
暦はその後、明治時代になるまで数度、変更されながら国暦として定められてきましたが、明治6年、脱亜入欧の掛け声の下、西洋暦である今の「太陽暦」になり益々ややこしくなりました。
未だにアジアのいくつかの国では「太陰太陽暦」を採用・併用している国があり農業・漁業・海運や消費財販売に活用していますが、日本の法令・行政では無視されており公には全く活用されていません。
ですので旧暦のお正月である「旧正月(春節)」は「新月の日」であり、日本での古来の「満月の日」の行事は満月や新月の日にはほとんど行われず、単なる名残りとして形式的に(西洋歴の)14日や15日に今も行われている、ということです。
ひらがな・カタカナを発明したり、英語を外来語としてうまく取り入れたりしてきた日本人ですが、夜の明るい満月の日に節目のイベントを行ってきた先人の知恵は誠に残念ながら残念ながら継承されなかったと言えます。明るい夜にイベントが行われたら、灯りの無い場所でも安全性が高まり、必要以上に照明のエネルギーも節減できますので今の時代的には有りなのではないかと思われますが・・・